歴史

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主夜神信仰の歴史

主夜神尊とは

画像 主夜神像
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主夜神は、もとの名を婆珊婆演底主夜神(ばさんばえんていしゅやじん)といい、華厳経入法界品に、 「恐怖諸難を取り除き、衆生を救護し、光を以って諸法を照らし、悟りの道を開かせる」 と説かれる神様であります。

さらに、主夜は守夜と転じて、夜を守る神として崇められ、盗難や火災などを防いでくれる大変なご利益をもつ神様であるとされています。

この主夜神を奉る寺社は、日本ではあまり例がみられないという珍しい神様であります。

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袋中上人による感得

画像 主夜神尊図
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当山縁起によりますと、慶長8年(1603)3月15日に、袋中(たいちゅう)上人が念仏をしていたところ、朱衣(あかごろも)に青袍(あおきひたたれ)を着た主夜神尊が光明の中に現れ、 「われは華厳経に説き給ひし婆珊婆演底主夜神なり。専修念仏の行者を擁護すべし。」 と袋中上人に告げ、符を授けたことが初見であると伝えております。

慶長8年は袋中上人が学問探求のため明に渡ろうとした年であります。上人は国の許可が下りなかったため危険を冒して民間船に乗って航海に出ました。

「夜暗く人静まって、鬼神や盗賊が横行する時、深い雲や濃い霧に蔽われて、月日が光を失う時、城や集落 や山間や荒野や大海の中で難に遭う人々のために、あらゆる手段をめぐらしてそれらの人々の恐れを除くでしょう。海にあって難に遭う人のためには、船の形と なり、海神の姿となってその難を救い、平地にあって難に遭う人のためには、月の光や星の光やたいまつの光や稲妻の光となってその難を救うでしょう。」(華厳経入法界品)と説かれる主夜神様は、先行き不安な航海に発たれる上人に大きな勇気を与えてくれたに違いありません。

袋中上人は帰国した後も主夜神様への信仰を持ち、自らが建てた檀王法林寺にまつられました。その威徳は当時の帝後水尾天皇のお耳に届き、帝は自ら主夜神尊にお供えをされたことが伝えられています。

これによって皇室との関係が築かれ、親密な関係を保ってまいりました。特に、霊元天皇は信仰篤く、寛文4年(1664)には天皇が「主夜神尊の御前に御行幸され、首飾りをお供え給うた」と記録にもあります。それ以後、勅使の関東下向の道中安全祈願が慣習化されるなど、その信仰が急速に大きく広まっていきました。

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主夜神信仰の最盛

画像 主夜神堂
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十二世良妙(りょうみょう)上人は主夜神尊御開帳の法楽の年次祭礼をはじめられ、主夜神信仰の最盛を迎え、さらなる多くの信者を集めました。

このことは国学者本居宣長の日記に「檀王法林寺の万日、主夜神の開帳始まりけるよし聞は、檀王へまいりぬ、此主夜神と申すは、近きころ人のふかく信じ仰ぐ神にてまします。」(宝暦6年(1756)8月4日の条)と記録されていることからもわかります。

画像 勅額
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その後、明和3年(1766)には有栖川職仁親王筆の「婆珊婆演底神最初示現之処」の勅額がかかげられ、音仁親王は主夜神祠堂のために川端の朱門を寄進されたといわれ、信仰繁栄をあらわしています。

また、徳川将軍三代家光公、六代家宣公、十代家治公はそれぞれ石の鳥居、石灯篭など(現存せず)を寄進されました。

画像 押絵主夜神尊像
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さらに商人や文人からの信仰もあつかったようで、豪商三井家は、延享4年(1747)と寛政6年(1749)に「押絵主夜神尊像」を奉納されました。

この飾羽子板にみられるような半肉式の押絵は江戸中期によく流行したものでありますが、このような大きな作品が現存していることは珍しいということです。

画像 富岡鉄斎筆 主夜神図
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また、富岡鉄斎翁もよく参詣していたようで、自らが描いた主夜神尊図を奉納されました。

このように主夜神尊は、様々な階級の方々からの信仰を集めていたことがうかがえます。

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日本最古の黒招き猫

正確な年代は定かでありませんが、当山では古くから猫は主夜神様の御使いであるとされていたため、江戸の中頃より、主夜神尊の銘を刻んだ招福猫が作られ、民衆に受け入れられていたことが伝わっております。

不思議な神通力のあるこの像は、右手を挙げ、黒色をまとった珍しい様相で、この「右手招き猫」は他が模作することを禁じられるほど、固有の信仰をあつめていたとされておりまして、寺社関連の招き猫としては最古のものとする説があります。

主夜神様の説かれる経典にも登場しない猫が、なぜ主夜神様の御使いに選ばれたのかはわかりません。しかし猫との関係についてこのようなお話があります。

猫は古来より船人たちから、暴風を察知する力があり、龍神に猫を捧げると風が治まるという不思議な力が あると信じられてきました。そのため航海に出る際、船には猫を必ず乗り込ませていたそうです。また猫は他にも、鼠の被害から守ったり、愛玩動物として可愛 がられたりと船の上では大いに役立ったとされています。

袋中上人は危険を冒して長い航海の旅にでました。上人が御乗りになりました船にも猫が同船していたことでしょう。その長旅の中、主夜神を唱え海中の安全を祈る袋中上人と猫の間に何か出会いがあったのかもしれません。

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主夜神大祭と復刻招き猫の授与

画像 招き猫
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檀王法林寺では、主夜神祭礼そのものが、長い間途絶えていましたが、1998年に約50年ぶりに復活を果たしました。現在では毎年12月の第1土曜日に招福猫・主夜神大祭が行われています。

その日は、秘仏である主夜神像が年に一度、御開帳される日でもあります。

また参拝者には、主夜神尊のお札と、厨子の中から見つかった古い招き猫(江戸後期)の復刻像が授けられています。

興味のある方はお尋ねになってみてください。霊験あらたかな黒色の招き猫がお迎えしてくれることでしょう。詳しくは招福猫のページをご覧ください。

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